「幸福論」
2003年9月14日↑東京都写真美術館で始まった展覧会のテーマ
幸せってなんですか〜?
あんまり考えたことないなあ。う〜ん、本当に考えたことってないや。
特に、自分の幸せとかって。考えないよなぁ。
むしろ、考えるのってどうかと思ってたもんなぁ。
あ〜幸せ〜って「思うこと」は日々の生活の中にあったとしても。
そんな私なのに、今日は「幸福論」っていう作品展に行ってきてしまった。
考えてみるきっかけになるかなーって思ったから。
はっきりいって、あんまりだった。
作家たちの幸福論にも大して頷けるものがなかったし。
そもそも、この人達、幸福について語ってんの?って思った。単なる自己主張?
場外には一般公募した写真が。
みんな本当に幸せそうだったけど。表情がどれも素敵だったけど。
恋人といるとき、結婚式のとき、子どもの誕生日の日・・・・・・。
・・・・う〜ん。
幸せっていうのは、日常の中の何気ない瞬間にひっそり感じられたり、人生の中の大イベントの時にドバドバー!って感じるものなんだろうな。
それはわかる。とってもわかります。
でも、いちいち「幸福論」ってテーマを掲げたんっだから、それなりに、もっと、掘り下げてみるべきなんじゃないかなー。
幸せとはこんなに身近にあって、誰もが感じているもんなんですよ、日々の生活がこんなに大切で輝かしいものなんですよ・・・なんて幸せ〜!ってことだけでいいのか。そんな今更なことを再認識する場で終わっちゃっていいのかな〜って思った。
昨日昼間に見たドキュメンタリー番組で、足の不自由な人が言ってたのを思うと、こういうことでいい気もするんだけど。彼は足がうまく動かせなくなって初めて、ふつうに生活できることが幸せなんだと知ったって言ってました。
そうなんだろうと、思います。
・・・・・でも今回の展覧会が物足りなかったのは確か。
・・・・・こうして改めて見つめなおす(再認識する)必要がそもそもなかったんじゃないかって気もする。
もう普遍的に幸せってそういうことなのかな。
この展覧会のチラシにヘッセの詩が引用されていた。
「語の中には、話す人すべてにとって、好きな語、なじまない語、ひいきにする語、避ける語がある。千べん使っても使い損ずるおそれのいらない日常語もあれば、どんなに愛していようとも、慎重に大切にして、荘重なものに似つかわしく、まれに特にえりぬいて初めて口にしたり書いたりする、別な荘重な語もある。私にとっては幸福ということばは、そういうものの一つである」と。
私もそう思うな。
・・・・こうなると、ますます今回の展覧会の意義って分からなくなる
いちいちやるから、胡散臭い印象になってしまうんじゃないかな?
違う会場でやっていた明和電機のプロジェクトの方が面白かった!
木魚叩いちゃった。
幸せってなんですか〜?
あんまり考えたことないなあ。う〜ん、本当に考えたことってないや。
特に、自分の幸せとかって。考えないよなぁ。
むしろ、考えるのってどうかと思ってたもんなぁ。
あ〜幸せ〜って「思うこと」は日々の生活の中にあったとしても。
そんな私なのに、今日は「幸福論」っていう作品展に行ってきてしまった。
考えてみるきっかけになるかなーって思ったから。
はっきりいって、あんまりだった。
作家たちの幸福論にも大して頷けるものがなかったし。
そもそも、この人達、幸福について語ってんの?って思った。単なる自己主張?
場外には一般公募した写真が。
みんな本当に幸せそうだったけど。表情がどれも素敵だったけど。
恋人といるとき、結婚式のとき、子どもの誕生日の日・・・・・・。
・・・・う〜ん。
幸せっていうのは、日常の中の何気ない瞬間にひっそり感じられたり、人生の中の大イベントの時にドバドバー!って感じるものなんだろうな。
それはわかる。とってもわかります。
でも、いちいち「幸福論」ってテーマを掲げたんっだから、それなりに、もっと、掘り下げてみるべきなんじゃないかなー。
幸せとはこんなに身近にあって、誰もが感じているもんなんですよ、日々の生活がこんなに大切で輝かしいものなんですよ・・・なんて幸せ〜!ってことだけでいいのか。そんな今更なことを再認識する場で終わっちゃっていいのかな〜って思った。
昨日昼間に見たドキュメンタリー番組で、足の不自由な人が言ってたのを思うと、こういうことでいい気もするんだけど。彼は足がうまく動かせなくなって初めて、ふつうに生活できることが幸せなんだと知ったって言ってました。
そうなんだろうと、思います。
・・・・・でも今回の展覧会が物足りなかったのは確か。
・・・・・こうして改めて見つめなおす(再認識する)必要がそもそもなかったんじゃないかって気もする。
もう普遍的に幸せってそういうことなのかな。
この展覧会のチラシにヘッセの詩が引用されていた。
「語の中には、話す人すべてにとって、好きな語、なじまない語、ひいきにする語、避ける語がある。千べん使っても使い損ずるおそれのいらない日常語もあれば、どんなに愛していようとも、慎重に大切にして、荘重なものに似つかわしく、まれに特にえりぬいて初めて口にしたり書いたりする、別な荘重な語もある。私にとっては幸福ということばは、そういうものの一つである」と。
私もそう思うな。
・・・・こうなると、ますます今回の展覧会の意義って分からなくなる
いちいちやるから、胡散臭い印象になってしまうんじゃないかな?
違う会場でやっていた明和電機のプロジェクトの方が面白かった!
木魚叩いちゃった。